2017年12月18日月曜日

東京・浅草寺の羽子板市に行く




1217日、東京・浅草・浅草寺の納めの観音ご縁日『羽子板市』に行った。
江戸時代にはこの日を中心に新年の用品などを売る「市」が立つようになった様だ。江戸後期は、正月に女子の誕生した家へ「羽子板」を贈る習慣があったことから「羽子板屋」が境内に立つようになり、現在の「羽子板市」に至っているようだ。
羽子板の絵柄は、毎年歌舞伎の名場面を取り込んだ絵柄が多いが、来年の「干支・戌」を現した羽子板が有るか、屋台を見て回った。昔ながらの羽子板の中でも現代の新しい絵柄を現した羽子板もいくつかあった。東京上野の「学藝大学」の学生が作った斬新な羽子板の店もあった。
来年の「干支・戌」は私の生後6回目の年になり、その次の干支年にはもう居ないかもしれない。
我が夫婦は、私の干支の戌が描かれている小さな・小さな羽子板を購入した。

浅草寺では1212日と13日の2日間にわたり、御宮殿の年末の大掃除の煤払いと開扉法要が古式に則り厳粛に営まれる。13日には、御宮殿の扉が開かれ、御宮殿開扉法要が営まれ、この日に限り、御前立ご本尊を拝することができるということで、これにも参加してみた。
『観音経』読誦のなか、貫首は緞帳内に入り、御宮殿の扉を開け、御前立ご本尊の御像の煤を筆の穂先をもって払う儀式だ。御宮殿の煤払いが終了すると、御宮殿の御扉は開かれたまま、貫首は、式衆とともに『観音経』を読誦した。その間浅草寺御本尊の「観音様」が見え拝めたはずだが、本尊の「観音様」はとても背丈が小さいとのようで、本堂のはじのほうに位置していた私たちは、そのお姿を見ることはできなかった。
ただ扉が開かれた空気だけは感じられた。

もうすぐ年が明け、我が生後6回目の「干支・戌」の年を迎える。



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