2018年2月5日月曜日

東京・浅草寺の「節分会」「福はうち」「気合いだ」





2月3日(節分の日)、今年は年男だということでどこかの「豆まき」行事に行ってみようということで、東京・浅草寺の「節分会」に行ってみた。

毎年どこの神社でも豆まき行事が行われていることはテレビのニュースで知っていたが、実際に行ってみたのは初めてのことだった。

浅草寺本堂には特設会場が出来ていて、浅草に関係する芸能人さんたちが「福はうち」「福はうち」と掛け声をかけ、沢山集まった群衆に向かって豆を捲いた。
豆まきした芸能人は、林家正蔵・三平兄弟、浅草寺のすぐ近くに住むアニマル浜口・京子親子、青空たのし、磯村みどり、斉藤こずえ、松島トモ子、内海桂子、ファイティング原田、浅香光代、その他多くの面々。
特に、アニマル浜口・京子、親子は例の「気合いだ」「気合いだ」を大声で大連発。沢山集まった人たちは「笑いの福」をもらった。

この日、日本の古来からの伝統なので集まった群衆はほとんどが日本人。
この日も浅草には沢山の外国人観光客が来ていたが、日本の庶民たちがこの行事を楽しんでいる様子を遠巻きにして見ていた。
こんな日本人の風習をどのように感じたのだろうか。
私たち夫婦は、群衆の中ほどで4袋「福豆」をゲット。
しばらくの間、楽しい午後の時間を過ごした。





2018年1月29日月曜日

寒風の中手賀沼にランニングに行く


水路に厚氷

河津桜芽膨らむ

紅梅が咲く

極寒の1月29日、多少昨日の最高気温4℃より寒風も少なく気温が上がるとの予報。
柏市・手賀沼にランニングとウオーキングに行ってみた。

「手賀沼の道の駅」の水路は連日の寒さで厚い氷で覆われていた。手賀沼の水面にも薄っすらと氷が張っていた。

こんな中、「遊歩道」の途中に植えられている「河津桜」の枝を見たら、花芽がだいぶ膨らみ、ほんのりとピンクに変わり今にもほころびそうに成っている。
その先にある「紅梅」は、もう花が咲いていた。

天気予報では明日にもまた雪が降ると伝えている。
もう少しの期間寒さに耐えていれば、
ランニングとウオーキングも楽に出かけられるかも知れない。



2018年1月19日金曜日

平成館で公開されている「仁和寺と御室派のみほとけ展」と浅草寺の「亡者送り」を見に行った。



2018年1月18日、東京・上野国立博物館・平成館で公開されている「仁和寺と御室派のみほとけ展」を見に行った。

京都・仁和寺は、光孝天皇が仁和2(886)に建立を発願し、次代の宇多天皇が仁和4(888)に完成させた真言密教の寺院。歴代天皇の厚い帰依を受け皇室との深いかかわりから、すぐれた絵画、書跡、彫刻、工芸品が伝わっている。展覧会では、創建時の本尊である阿弥陀如来像(国宝)や、仁和寺の寺宝のほか、仁和寺を総本山とする御室派寺院が所蔵する70体ほどの仏像や、「空海」が中国で書写した帖書など書籍名宝の数々を見て、当時の歴史の一端を感じることが出来た。

この特別展を見た後に浅草・浅草寺に行き東京・浅草寺に午後6時から始まる「亡者送り」という行事を見に行った。

「亡者送り」は、浅草寺「温座秘法陀羅尼会(おんざひほうだらにえ)」の結願の日に行われる行事。【温座秘法陀羅尼会】は浅草寺全住職により勤修する年頭の法要で、江戸中期より伝わる年間で最も厳粛な行事。修法では、「天下泰平」「玉体安穏」「五穀豊穣」「万民豊楽」など、世界平和や日本国全体の幸福が祈願される。
 行事の修法では、曠野(荒れた土地)に住むといわれる魑魅魍魎(さまざまな化け物)や餓鬼(亡者)に対して供物を施すための修法「曠野神供」が修される。午後6時、堂内の明かりが
全て消えた。すると、「錫杖師」「神供師」という役目の2人の僧が扮した松明を持った鬼が2人現れ、本堂裏本堂正面階段を下りて、境内を駆け巡ったのち、銭塚地蔵堂へ向かった。鬼は、供物を投入した穴に松明を投入し、全ての行事が終わった。
温座秘法陀羅尼会は、諸尊への祈願と施餓鬼作法(諸霊に食べ物を施して供養を兼ねたもの)で、この法要によって年頭の除災招福の祈願が達成されるということのようだ。






2018年1月2日火曜日

年越しを、北鎌倉の【円覚寺】で迎えた。





2017年12月31日の年越しを北鎌倉の【円覚寺】で迎えた。

大晦日除夜の鐘の音を国宝の円覚寺の梵鍾と共に迎えようと、夫婦で出かけた。夜9時に家を出て11時少し前に北鎌倉・円覚寺に着いた。

門前には、約50人ほどの人たちが開門を待っていた。円覚寺の梵鍾は山門を入り急な階段を上がった「弁天堂」横に在り、午前0時に僧侶の唱える『般若心経』と共に低い音の鐘の音が響いた。
夜空には大きめの月と星がきれいに見えた。近くの「東慶寺」「建長寺」等の鐘の音も聞こえ、静かな年明けを味わった。

帰路は鎌倉八幡宮を通り、鎌倉駅から終夜運転の「横須賀線」に乗ったが、柏までの「常磐線」は終夜運転はやっていないので、午前4時頃【浅草・浅草寺】に初参りに立ち寄った。浅草寺には沢山の人があふれていた。

本堂の横には大きな干支の犬(ソフトバンクの犬)が人込みの混雑をじっと見つめていた。浅草寺の「おみくじ」場の周辺には、カップラーメンや飲料の空き缶などが沢山のゴミ捨てられており、今までの年には無かったことで、
新年初めての「いやな光景」を見た。

ここで引いた「おみくじ」は【凶】で、「健康と躰に気を付けること」と書いてあった。

この「おみくじ」はおみくじ結び場にしっかり結び付け、
「浅草寺」に預かってもらって帰った。








2017年12月18日月曜日

東京・浅草寺の羽子板市に行く




1217日、東京・浅草・浅草寺の納めの観音ご縁日『羽子板市』に行った。
江戸時代にはこの日を中心に新年の用品などを売る「市」が立つようになった様だ。江戸後期は、正月に女子の誕生した家へ「羽子板」を贈る習慣があったことから「羽子板屋」が境内に立つようになり、現在の「羽子板市」に至っているようだ。
羽子板の絵柄は、毎年歌舞伎の名場面を取り込んだ絵柄が多いが、来年の「干支・戌」を現した羽子板が有るか、屋台を見て回った。昔ながらの羽子板の中でも現代の新しい絵柄を現した羽子板もいくつかあった。東京上野の「学藝大学」の学生が作った斬新な羽子板の店もあった。
来年の「干支・戌」は私の生後6回目の年になり、その次の干支年にはもう居ないかもしれない。
我が夫婦は、私の干支の戌が描かれている小さな・小さな羽子板を購入した。

浅草寺では1212日と13日の2日間にわたり、御宮殿の年末の大掃除の煤払いと開扉法要が古式に則り厳粛に営まれる。13日には、御宮殿の扉が開かれ、御宮殿開扉法要が営まれ、この日に限り、御前立ご本尊を拝することができるということで、これにも参加してみた。
『観音経』読誦のなか、貫首は緞帳内に入り、御宮殿の扉を開け、御前立ご本尊の御像の煤を筆の穂先をもって払う儀式だ。御宮殿の煤払いが終了すると、御宮殿の御扉は開かれたまま、貫首は、式衆とともに『観音経』を読誦した。その間浅草寺御本尊の「観音様」が見え拝めたはずだが、本尊の「観音様」はとても背丈が小さいとのようで、本堂のはじのほうに位置していた私たちは、そのお姿を見ることはできなかった。
ただ扉が開かれた空気だけは感じられた。

もうすぐ年が明け、我が生後6回目の「干支・戌」の年を迎える。



2017年12月4日月曜日

もう師走、宝くじ買わなきゃ


浅草・酉の市
代々木の青のイルミネーション
原宿表参道
 11月も終わり、
今年は三酉までの師走も過ぎ、
いろいろなイルミネーションが華やかになった。
再来週には、浅草の「羽子板市」になる。
来年は「戌年」。

2017年11月26日日曜日

美しい、大切な『日本の顔』二つ・JR駅からハイキングにて






11月25日、【JR駅からハイキング】で秋川渓谷に行った。千葉県・柏から常磐線で東京駅に行き、中央線・五日市線に乗り継ぎ武蔵五日市駅まで2時間程電車に乗った。
このコースは、学生が考えた「学生企画の駅からハイク」ということで、帝京大学・観光資源マネージメント研究室の学生たちがコースの所々で道案内してくれていたので、たいへん助かった。
このコース謳い文句は『東京都心から1時間のアクセスで豊かな自然を味わえる秋川渓谷と秋留台地』となっていた。この地域を歩いたが、「東京都里山保全地域」の「横沢入」等、ボランティア団体の人々がその景観を復元し、管理されているとのことで、東京都内で在りながら、山と谷川に囲まれた豊かな景色の里山風景を充分に楽しむことが出来た。

帰りには、東京駅で途中下車し、「丸の内」の年末恒例の「クリスマス・イルミネーション点灯」も見てきた。
毎年、幾度も東京駅周辺に行くが、その都度ビルの建築や改築が進み景色は変化している。
イルミネーションも毎年変わり、目まぐるしくその景色は変化する。


都心の絶え間なく変わる変化も、
山里の様に変わらない環境も、
どちらも、過去・現在の人々の努力が積み重なったもので、
美しい、大切な『日本の顔』だと思う。